ぺんちゃんの日常

マイペースかつ自由気ままに。




何もかもが馬鹿らしくなって、自分の存在がちっぽけに感じて、いてもいなくても変わらない気がして全部嫌になる。



人と一緒にいたいけどいたくない。



やっぱり根本的な部分で人を信じきれないんだなあって。人は好きだけど嫌い。そういう風に思っている自分も嫌い。



全部甘えだなあってわかってるんだけど。



薬の副作用なのか、寝る前の記憶が度々なくなる。所々自分が何してたかわからないから怖くなる。



お酒も全然飲めなくなった。



急に不安になって過呼吸になって、迷惑をかける。心配させてしまう。



実家に帰りたくないってずっと思ってたけど、最近はたまに早く帰りたいと思うようになった。



どんどん自分じゃなくなっていく気がする。

そもそも自分ってなんなんだろう。



この歳にもなって自分から逃げてきたツケなのかな。

今こんなに苦しいのは。


たとえ話。




人間ってちょびっとだけ重心のずれたおきあがりこぼしみたい。



自分だけではなかなか起き上がれないけど、誰かの支えで起き上がれる。



転んでも転んでも、気づいた人がちょんって指でまた起こしてくれる。



私はそれでも人間だから、転んだ分だけ強くなりたい。助けられた分だけ強くなりたい。



起こしてくれてありがとう、の気持ちを大切にしたい。



そして助けてくれる、気にかけてくれるそんな温かい人たちの「指」に自分もなれるといいなあ。


読書①

年も明けまして、今年ちょっと挑戦してみようと思っていることがあります。



それは…











1年間で本を100冊読む!





です!







さっそく1冊目読み終わりました。



f:id:penpenyo2:20180109124833j:plain



筒井康隆さんの『残像に口紅を



もし世界から一音ずつ言葉が無くなっていったらどうなるのか、という実験的小説でした。


この本書くのはとても大変だったと思います。一音ずつなくなり、その音の入っている言葉は使えなくなるという条件の中、1冊書き上げた筒井康隆さんすごい!と思いました。


音がなくなって行ったらどうなるのか想像つかない中読み進めるのがとても面白かったです。


世界観が私は好きで、読んで良かったと思いました。



完璧自分のための日記です。

最近は卒論に就活にバイトに単位に追われ、気持ちの余裕がないぺんぺんです。


追われてはいるんだけども、からだが逃げようとしない、頑張ろうとしない。


頭ではやばいよー!!!ってサイレンが鳴り止まないんだけれど、なればなるほど体が動かない…


ほかにも色々思うことがあって、ストレスのせいか体調も崩しまくっているところでございます。


(胃潰瘍なうです…)


でも、自分で"ストレスがやばい""病んでいる"なんていっても説得力もなく、周りの人たちは大抵私の根っこの部分になんて興味も持たない。


もちろん心配してくれるひともいるし、気にかけてくれる言葉をかけてくれるひともいるけれど。


所詮は他人事だし、自分でなんとか立ち上がるしかないという厳しい現実だなあと痛感中です。




そんな中、私はなにやってもどこかで思うようにいかない、つまずくことが多いのは自分と向き合わないと解決しないんじゃないかと考え始めました。


「自分と向き合う」ということは、思っている以上に壮絶で、自分の人格の元になっているのではないかと思われる過去を掘り下げようとすればするほど、気持ちは重たくなり、それ以上踏み込んではいけないパンドラの箱を開けそうになっては、元に戻れなくなるのが怖くて閉じてしまう、そんなことを繰り返しています。


どうしても受け付けない過去。思い出したくない過去。でも自分と向き合うために重要な鍵をもつ過去。


それを蒸し返して自分で分析するのは言葉では言い表せなく、壮絶に感じます。


私だけじゃなく誰でも自分と向き合うことは難しいことで、私が特別なんかじゃないことは分かっているし、まだまだ未熟であると思っています。


きっとこの過去と向き合うことは自分と向き合うことに繋がり、このとても高く頑丈な壁の先にはいまの自分と180°変わることのできる未来が待っていると思っています。


すごく壮大なことをいっていてバカらしいと思うかもしれないですね。


でも私にとってとても大切な時期なのだと感じています。


就活がうまくいかないのはなぜか、単位がとれないのはなぜか、周りに誤解されるのはなぜか、なぜ私のことをよく知らない人に悪く言われなきゃいけないのか、大切な人を傷つけてしまうのはなぜか。


その答えが見えるのではないかと思っています。




「自分と向き合う」ことをしようとするが、どうしても辛い、逃げてしまう、でもやらねばならない、という弱音を、私の人生で一番影響を与えてくれて、且つ私の一番の理解者である人物に吐いてしまいました。


するとその人からは意外な言葉が返ってきました。


「あなたは十分向き合えてるよ。尊敬するよ。」


そんな風に認めてくれる人がいてくれたんだ。


そんな自分さえも受け入れてくれるんだ。


自分を誉めてあげていいんだ。



その人は本当に自分にとって偉大で、壮大な心をもつひとだなあと思いました。


ありがとう、感謝の気持ちと同時に、私も人も自分も認めてあげられるくらい大きな心を持ちたいと感じました。


いまの立場では、その人に恩返しどころか何もすることはできないし、下手したら仇で返してしまう。私はそんな無力な存在です。


いつかちゃんと恩返しできるように、少しずつ、でも確実に成長して素敵な人間になりたいと思う今日この頃です。

教訓

久々に投稿。
ブログ続けるって思ったよりも難しいですね。





今日は思考の整理も兼ねて、考えたことを散文的に書いていこうと思います。


トラウマと似てる気もするのだけど、忘れられない出来事が起きたとき、落ち着いたと思った何ヵ月か後に色々また思い出されたり考え込むことがあります。


人間は未完成な生き物だということ。
失敗や過ちを繰り返すということ。


最近思うのは、
【自分のしたことはいつかは自分に返ってくる】
という言葉。


これは、本当にその通りだと思います。
良いことも悪いこともすべて自分に返ってくる。


人生は上手くできているなあとおもいます。


"自分がされて嫌なことは他人にしない"、"自分のためにも人に優しくする""周りのことをよく考える"などといったよく言われるお説法は間違いではないと私は思います。


私もそれを心がけて生きていきたい。


でも、人間は未完成な生き物だから、気づかないうちに他人を傷つけたり、自分のことしか考えられなくなってしまったりします。冷静に判断しているつもりでも後から後悔したり。


失敗や過ちを0にすることはかなり難しい。


でも、気をつける、心掛けることが大切なのだと私は思いました。


他人を傷付けて、それが自分に返ってくる。それは仕方のないこと。自分の行動の結果。ちゃんと受け止めて次に活かさなければいけません。


そうやって成長していく過程が大事だと、私は信じようと思います。


全然まとまらないけれど、そんなことを考えるここ最近の夜。








もうひとつ。別の話題。


先日仲のいい友人にいわれたこと。


「○○(私)は自分がないんじゃない?自分なのに、自分自身が中心にいなくて、他の誰かが中心にいてその周りに○○(私)がいる。だから客観的に物事をみれるのに、自分のこととなると急に分からなくなっちゃう」


と至極全うな意見をいただきました。


私は他人を嫌いになることがとても苦手です。どんなにひどいことされても中々嫌いにはなれない。


「嫌いになってもいい。そして、嫌いな人にまで無理に好かれる必要はない。もっと自分の好きなように生きてもいい」


頭ではわかっていても中々上手くいかない自分の課題です。


だからなんだ、という話ですね。笑









とりあえず、、、
私は今日もわちゃわちゃしながらも成長しようともがきながら生きています。


センチメンタルなぺんぺんでした~

血液検査の結果。

3月の外食の一部です。



f:id:penpenyo2:20170402172210j:plain

スープカレー

f:id:penpenyo2:20170402172236j:plain

ペペロンチーノ

f:id:penpenyo2:20170402172255j:plain

インドカレー



他にもお寿司、ローストビーフ丼、ラーメン、焼肉などなど
3月はお腹いっぱい満足満腹な食生活をしていました。



それが関係あるのかは分からないのですが、血液検査の結果。。。
なんと、中性脂肪がやや高めとの注意を受けました。笑


今年22歳、早くも食生活に気を使わなければならない年頃なのでしょうか。


ちょっと(っていうか結構?)ショックを隠せないぺんぺんでした~

夜中にぼやーっと考えること。

現在春休み真っ只中なのですが、もうそろそろ新学期が始まるそうです。


この春休み、色々な出来事やイベントが盛り沢山で時間の流れがとても早いように感じました。


それと同時に、色々な出来事、経験によって世界といったら大げさですが、自分の目に見えるものっていうのは、その時その時で全然違うなあと、ふと感じました。



見えていなかったものがあるきっかけで見えてくることもあれば、見えていたものがあるきっかけで見えなくなることもある。


たとえば、私は元々実家暮らしだったのですが昨年末に親元を離れました。


お手伝いなどをあまりすることなく育ってきてしまったのですが、一人暮らしを始めて洗濯や自炊など、自分でやらないといけなくなり、いざ体験してみると、家事の大変さを実感しました。


一人分でも面倒くさく感じるのに、家族全員分やっているお母さまはすごいことしてる!!と、今まで見えていなかった部分が見えてくるようになりました。


でも、そういうことも時間がたつとまた見えなくなっていたり。


人間って自分の都合のいいように解釈する習性があるように思います。笑
ぺんぺんだけなのかもしれないけども。。。



すごく抽象的な表現しかできないのですが、学校の人間関係などでも度々色々な面で、見えている時期、いない時期があるなあと感じました。



成長する上では、見えていない時期が悪いわけではなくそこで見るべきことに気づく発見こそが大切なポイントな気がします。


「人間」と一括りにはするものじゃないけれど、人って結構片寄った見方をしちゃう気がして。
とくにぺんぺんは、結構周りが見えなくなることがよくあります。笑


だからこそ、意識してどんな物事も様々な角度から多面的に見ることが大切だと思っています。ただこれは意識していても中々難しいんですけどね。笑



また、逆に見えなくて良いものもたくさんあるわけで、見えてるからといってそれが自分の利益になるかと言えばそうでないときも多々あると思うんですよね。



いま書きたいことがすごく抽象的で、ぺんぺんの文章力だと全然伝わらない気がする。


とりあえず、見たいものだけ見れて、見たくないものは見えない世界だったらいいのかな?笑


そういうわけでもなさそうだなあ、と自問自答。。。



とりあえず全然締まらないので、今日のぺんぺんは哲学的なことを永遠と考えながら眠りにつくことにします!!!

おやすみなさい~