ぺんちゃんの日常

マイペースかつ自由気ままに。

完璧自分のための日記です。

最近は卒論に就活にバイトに単位に追われ、気持ちの余裕がないぺんぺんです。


追われてはいるんだけども、からだが逃げようとしない、頑張ろうとしない。


頭ではやばいよー!!!ってサイレンが鳴り止まないんだけれど、なればなるほど体が動かない…


ほかにも色々思うことがあって、ストレスのせいか体調も崩しまくっているところでございます。


(胃潰瘍なうです…)


でも、自分で"ストレスがやばい""病んでいる"なんていっても説得力もなく、周りの人たちは大抵私の根っこの部分になんて興味も持たない。


もちろん心配してくれるひともいるし、気にかけてくれる言葉をかけてくれるひともいるけれど。


所詮は他人事だし、自分でなんとか立ち上がるしかないという厳しい現実だなあと痛感中です。




そんな中、私はなにやってもどこかで思うようにいかない、つまずくことが多いのは自分と向き合わないと解決しないんじゃないかと考え始めました。


「自分と向き合う」ということは、思っている以上に壮絶で、自分の人格の元になっているのではないかと思われる過去を掘り下げようとすればするほど、気持ちは重たくなり、それ以上踏み込んではいけないパンドラの箱を開けそうになっては、元に戻れなくなるのが怖くて閉じてしまう、そんなことを繰り返しています。


どうしても受け付けない過去。思い出したくない過去。でも自分と向き合うために重要な鍵をもつ過去。


それを蒸し返して自分で分析するのは言葉では言い表せなく、壮絶に感じます。


私だけじゃなく誰でも自分と向き合うことは難しいことで、私が特別なんかじゃないことは分かっているし、まだまだ未熟であると思っています。


きっとこの過去と向き合うことは自分と向き合うことに繋がり、このとても高く頑丈な壁の先にはいまの自分と180°変わることのできる未来が待っていると思っています。


すごく壮大なことをいっていてバカらしいと思うかもしれないですね。


でも私にとってとても大切な時期なのだと感じています。


就活がうまくいかないのはなぜか、単位がとれないのはなぜか、周りに誤解されるのはなぜか、なぜ私のことをよく知らない人に悪く言われなきゃいけないのか、大切な人を傷つけてしまうのはなぜか。


その答えが見えるのではないかと思っています。




「自分と向き合う」ことをしようとするが、どうしても辛い、逃げてしまう、でもやらねばならない、という弱音を、私の人生で一番影響を与えてくれて、且つ私の一番の理解者である人物に吐いてしまいました。


するとその人からは意外な言葉が返ってきました。


「あなたは十分向き合えてるよ。尊敬するよ。」


そんな風に認めてくれる人がいてくれたんだ。


そんな自分さえも受け入れてくれるんだ。


自分を誉めてあげていいんだ。



その人は本当に自分にとって偉大で、壮大な心をもつひとだなあと思いました。


ありがとう、感謝の気持ちと同時に、私も人も自分も認めてあげられるくらい大きな心を持ちたいと感じました。


いまの立場では、その人に恩返しどころか何もすることはできないし、下手したら仇で返してしまう。私はそんな無力な存在です。


いつかちゃんと恩返しできるように、少しずつ、でも確実に成長して素敵な人間になりたいと思う今日この頃です。